学校給食センターのあゆみ
昭和29年4月1日 | 藤岡町・神流村・小野村・美土里村・美九里村の1町4村の町村合併により藤岡市誕生 |
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昭和29年6月 | 美九里東小・美九里西小の2校で完全給食実施 |
昭和29年6月3日 | 学校給食法(法律第160号)が制定される。 |
昭和30年3月 | 平井村・日野村が編入合併し、小学校10校(藤岡・神流・小野・美土里・美九里東・美九里西・平井・日野東・日野中央・日野西)分校1校(御荷鉾)、中学校9校(藤岡・神流・小野・美土里・美九里・平井・日野東・日野中央・日野西)分校1校(御荷鉾)となる。 日野中学校で給食実施 |
昭和30年9月 | 藤岡小で完全給食実施 |
昭和30年11月 | 小野小・美土里小で完全給食実施 |
昭和31年11月 | 平井小で完全給食実施 |
昭和32年 | 群馬県で財団法人群馬県学校給食会が設立され、学校給食の普及充実等の推進体制が整備される。 |
昭和32年11月 | 神流小・日野東小・日野中央小・日野東中・日野中央中で完全給食実施 |
昭和33年4月 | 小野中で完全給食実施 |
昭和34年4月 | 藤岡小学校を藤岡第一小学校、藤岡第二小学校に分割される。 |
昭和46年4月 | 日野中央中学校・日野西中学校・日野西中学校・御荷鉾分校を統合し、南中学校が設置される。 |
昭和48年1月 | 日野地区4校(東小・中央小・西小・南中)の給食施設を統合し、日野給食センターを開設 |
昭和48年4月 | 日野給食センター業務開始 |
昭和49年3月 | 日野東中学校・平井中学校・美土里中学校を統合し、西中学校が設置される。 |
昭和51年4月 | 藤岡中学校(藤岡第一小学校区)・美九里中学校を統合し東中学校が設置される。 藤岡中学校(藤岡第二小学校区)・神流中学校・小野中学校が統合し北中学校が設置される。 |
昭和52年10月 | 藤岡市学校給食センター設置条例に基づき、学校給食センター小学校調理場を本郷地内に設置 |
昭和53年2月1日 | 小学校調理場が開設 日野地区を除く8小学校を対象に共同調理による完全給食を実施(配送業務は人員派遣方式で実施) この頃、南中学校を除く中学校の給食は牛乳のみであった。 |
昭和59年4月 | 北中学校分割により小野中学校が設置される。 |
昭和61年12月 | 日野調理場を閉鎖し、日野地区の小学校3校と南中学校の給食は3学期より学校給食センター(小学校調理場)で調理 |
昭和63年1月11日 | 中学校調理場を開設(配送業務は全面委託方式) 小学校調理場で小学校11校、中学校調理場で中学校5校の全小中学校の完全給食を実施 |
平成5年4月 | 小学校調理場の配送業務を全面委託方式に変更 |
平成12年 | 小学校調理場の調理室塗装工事を実施 |
平成13年 | 小学校調理場の洗浄室塗装工事を実施 |
平成16年4月 | 日野地区の3小学校の統合および南中学校が西中学校へ統合されたことにより小学校は11校から9校に、中学校は5校から4校となる。 |
平成18年1月1日 | 鬼石町の編入合併により小学校11校・中学校5校となる。 鬼石町学校給食センターを鬼石調理場とし、小学校調理場を第一調理場、中学校調理場は第二調理場と名称を変更 |
平成18年4月1日 | 鬼石調理場を閉鎖し、各調理場の受配校を見直し、第一調理場では日野小・鬼石北小・鬼石小を除く全小学校(8校)の給食を調理、第二調理場では全中学校(5校)と日野小・鬼石北小・鬼石小の給食を調理 小中学校統一の献立を採用 |
平成21年3月 | 第一調理場の蒸気ボイラー更新 |
平成21年8月 | 第二調理場の蒸気ボイラー更新 |
平成22年8月 | 第一調理場の食器・食缶洗浄機更新 |
平成23年8月 | 第一調理場の下処置用三層シンク作業台入替 |
平成24年3月 | 放射能測定器を購入、第一調理場会議室に設置 |
平成25年8月 | 第一調理場の上処理用二層シンク作業台および一層シンク作業台入替 |
平成26年4月 | 群馬県立みやま養護学校藤岡分校(現在の県立藤岡特別支援学校)の給食調理配送業務を受託 |
平成29年8月 | 第一調理場、第二調理場の老朽化により、新たな給食センターを建設し移転 |
令和2年4月 | 給食調理業務を民間事業者に委託 |
令和2年9月 | 卵・乳を起因とする食物アレルギーの対応食の提供開始 |
更新日:2025年03月04日