桜山公園の歴史
桜山公園の歴史
時期 | 歴史 |
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明治41年3月 | 当時の三波川村長の飯塚志賀は日露戦争の戦勝を記念して、国有地であった山林原野を買い取り約5ヘクタールを公園にし、埼玉県安行の植木屋より購入した1,000本の桜の苗と村内の各戸から持ち寄ったカエデ苗310本とを植樹した。 |
昭和12年 4月17日 |
「三波川(サクラ)」として国の名勝および天然記念物に指定される。このときの冬桜の総数は344本。 |
昭和48年 3月24日 |
桜山の西方約3キロメートル地点に発生した火災は、7時間余りも燃え続け、桜山にも延焼。約1,000本の冬桜を焼失。 |
平成元年 | 県立桜山森林公園第1の広場完成。町の委託管理が始まる。 |
平成17年 | 冬桜の総数7,000本 |
桜山公園に携わった人物
桜守 飯塚 志賀(いいづか しが)
明治22年(1889)2月、父の後を承け戸長となり、同年8月三波川村長に就任、以後その職にあること35年間、大正4年(1915)10月には群馬県議会議長となり(このころは兼任可)、生涯を自治と公共のために尽した人である。
明治24年に107町歩(107ヘクタール)、明治41年を中心に180町歩(180ヘクタール)の国有原野の払い下げを受け、あわせて約300町歩(300ヘクタール)を村有林とし、杉桧の植樹を完行し村有財産を作った。明治41年に実施された「三波川冬桜」の植樹も氏の指導によるものである。
新井 民志(あらい ひとし)
昭和29年より冬桜の苗の育成研究をはじめた。
昭和48年3月桜山は火災により約1,000本の冬桜を焼失したが、その時すでに900本の苗木を保有していたため、直ちに植樹でき復元に大きく貢献した。
三波川桜山保存会 代表者 飯塚 馨(いいづか かおる)
昭和30年4月結成以来、その活動は大変顕著で、特に昭和48年に発生した三波川山林火災により冬桜の大部分を焼失した後の桜山の復興には、冬桜の苗の育成と植樹に多大な貢献をした。
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更新日:2025年02月27日